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Your search : [ author:黄秀芳 张春侠] Total 78 Search Results,Processed in 0.092 second(s)
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1. 一木一草に心を込めて
中国は人口も多いが、大地は広く、資源は豊かな国と見なされて来た。しかし、一人当たりに換算すると実際は、ほとんどの資源が世界の平均以下なのである。中国の一人当たりの森林面積は一·六ムー(一ムーは約〇·〇六七ヘクタール)で、世界第百二十一位の「貧林大国」である。一人当たりの草原面積は四·四ムーで、これも世界平均の九·五ムーより狭い。 この数十年来の中国の発展で、森林信乱伐され、草原ではでたらめな放牧が
Author: 黄秀芳 张春侠 Year 2002 Issue 4 PDF HTML
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2. 市場経済の洗礼を受けるカラーテレビ
信じられないようなことが、カラーテレビの世界で起こった。昨年中国全土で生産者と販売業者存値下げ競争の泥沼に引き込んだのである。テレビメーカーのシェア争奪戦昨年の春から秋にかけて、みんな今がカラーテレビの買い時だと言っていた。輸入品も含めて、十数種類のカラーテレビがみんな値を下げていたし、魅力ある値段に引きずられて危うく私も買いそうになった。長虹電子の爆弾宣言昨年の三月二十六日、中国最大のカラーテレ
Author: 黄秀芳 Year 1997 Issue 2 PDF HTML
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3. 車内を明るくする女車掌·李素麗
今年三十五歳になる李素麗さんは北京市の市営バス二十一番線に乗務している普通の車掌である。しかし、彼女には「年輩者の杖」「盲人の目」「おのぼりさんのガイド」「病人の看護婦」などという賛辞が贈られている。その声は耳に心地好く、微笑みが日光のように暖かいから、人々は彼女を「日光さん」と呼んでいる。行き届いた心遣い李素麗はまず六十番線に勤務し、その後二十一番線に転勤した。彼女はどこに行っても、バスの中を彼
Author: 黄秀芳 Year 1997 Issue 2 PDF HTML
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4. 今こそ歴史の教訓を見つめる時
四月末から五月の初めにかけ、上海の復旦大学日本研究センターが「近代以降における中日文化交流の回顧及び二十一世紀への展望」と題した国際シンポジウムを開催した。同センターは、九〇年七月に設立。日本が近代化を目指す過程で得た経験や教訓を研究し、それを参考として中国に提供することを主な目的としている。数年前から日本のエーザイ株式会社と日本国際交流基金の援助を得ている。同センターの創始者である鄭励志教授、そ
Author: 黄秀芳 Year 1999 Issue 8 PDF HTML
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5. 豊かな暮らし多様な答案
少し古い話題になってしまいますが、ぜひお話ししてみたいことがあります。中国では毎年七月に全国統一の大学入試が行われ、そこで出題される小論文のテーマがいつも話題になります。昨年のテーマはとりわけ意表を突くものだったので、盛んな議論が交わされました。問題用紙には、まず次のような文章が書かれていました。「斬新なアイデアや発想を推奨するための講演会で、壇上に立った学者が参加者にこんな質問を投げかけた。『こ
Author: 黄秀芳 Year 2001 Issue 1 PDF HTML
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6. 愛は「贅沢品」か?
二月十四日は「聖バレンタイン·デー」。中国ではこの日になると決まって、バラの花とチョコレートが飛ぶように売れます。毎年そうなのですから、もはや慣例になったといってもいいでしょう。とくに興味深いのは、バレンタイン·デーの前日と当日はバラの値段が数倍に跳ね上がり、それが過ぎると暴落して投げ売りされること。まるで、情熱たっぷり愛を表現しなければならないこの日以外は、途端に愛が冷めてしまうかのようです。こ
Author: 黄秀芳 Year 2001 Issue 2 PDF HTML
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7. 愚公は山を移したけれど……
小学生の頃だったでしょうか、教科書に「愚公移山」(愚公 山を移す)という寓言が載っていました。古代の寓話集『列子·湯問』の中の話です。昔、北山愚公(愚か者)という者が、家の前に立ちはだかった二つの山を削ろう、と決めました。河曲智叟(利口者)という者が「なんと愚かなことか」と嘲笑しましたが、愚公は答えました。「私が死んだら息子、息子が死んだら孫と、代々山を削るのだ。そうすればいつかはきっと、高い山も
Author: 黄秀芳 Year 2001 Issue 3 PDF HTML
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8. わが子は「異端児」?
自分の娘のことで、悩んでいる友人がいます。最近は特にその心配が絶えないようです。というのも小学校卒業間近の娘さんが、授業中いつもぼんやりして、宿題もやってこない、と担任に注意されているからです。私も知っていますが、個性豊かな頭のいい子なのです。想像力に長けていて、絵画や作文には飛び抜けた才能を発揮します。彼女の作品を見るたびに、感心するほどです。そんな個性的な子どもですから、系統的な学校教育は息苦
Author: 黄秀芳 Year 2001 Issue 4 PDF HTML
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9. 雷鋒のように温かく
私はかつて、小さなバッチを持っていました。長方形で、金色の地に赤い文字で「為人民服務」(人民に奉仕する)と刻まれていました。毛沢東主席の筆跡です。現在三十歳以上の中国の人たちは、ほとんどが持っているでしょう。しかも一人一枚にはとどまりません。何枚もあるはずです。バッチがこれほど普及したのは、全国民が「為人民服務」の思想を抱くよう、国が呼びかけたからです。それで皆がバッチを胸につけたほか、学校や工場
Author: 黄秀芳 Year 2001 Issue 5 PDF HTML
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10. ハイテクにからかわれ
急速な進歩を遂げるハイテクノロジー(高度先端技術)。それを使うことについては、私はどうやら「保守派」に属するようです。例えば、コンピューターの利用一つを取ってもそう、保守的なのかもしれません。コンピューターは五、六年前に使い始めました。が、インターネットはようやく去年の夏に始めたところです。その後、必要な情報のリサーチやEメールのやりとり以外は、別の利用法はもうありませんでした。人々のように楽しそ
Author: 黄秀芳 Year 2001 Issue 6 PDF HTML